
2001年の8月15日暑い昼下がり、ドッカン!という音で、ベランダに飛び出すと、家の前の県道でトラックとバイクがぶつかり、ライダーが倒れていた。
コードレスホンをつかんで、サンダルでライダーのもとに駆けつけると、気が付いた彼が私を見上げ、起きあがろうとしたが頭と右腕しか動かなかった。
「もうだめだ!」と一言。そのことばを打ち消すように、「今、救急車を呼んだから大丈夫だよ。」と私。助かると信じていたから。でも車いすの半生になるだろうとは思った。
翌々日、近くの親戚から彼の事故が載っている新聞を見せられた。
残念ながら、彼は亡くなっていた。
事故から一週間程経ったある未明、私は金縛りにあった。すると玄関の向こうに白い人影の訪問者が名前を告げている。「・・・ですが。」聞き取れず、聞き直した。「・・・です。」、数回やりとりして目が覚めた。
その日の午後、事故現場に3人の姿があった。もしやと思い声を掛けると、やはり彼のご家族の方達であった。
拙宅で、この話をすると、妹さんが「それは兄です。義理堅い所があります。」と言ってくれた。
彼はH・K君19才。大阪の大学生で、夏休みに北海道をバイクでツーリングし、ご実家に戻っての事故だった。
天文部に所属し、星を愛する青年が自ら星となってしまった。
子供を持たない私には計り知れない悲しみに、同年配の母親の目から涙の止まることはなかった。
一期一会とは言うものの、こんな一瞬の出会いが、私の心に深く刻み込まれた。
事故の1週間前、自身のアートの今後を思い悩み、ちょっとしたきっかけで思わず、90cm四方の窓ガラスを3枚、素手・素足の突き・蹴りで割ってしまった。
当然、左手・両足は血だらけで15針縫ったが、動脈を切るような大事には至らなかった。
私は助かり、彼は逝ってしまった。K君は私の代わりに亡くなった気がしてならない。
左手の傷跡に、「何か私に出来ることはないだろうか?」と問い続けて来た。
「ヘルメットを持ったお地蔵さんが優しく見守ってくれる。」そんな像が浮かんだ。
K君だけでなく多くのバイク事故の犠牲者がいる。
その「ご遺族の方々の気持ちの少しでも慰めになったら」との願いを込めた。